不謹慎かもしれないけれど真剣に考えてる話。

「出来るだけ長生きしたい、死にたくない」って思ってたのは18歳くらいまで。
叶わない夢があると分かってからか、
自分の人間的能力の低さを知ったからか、
いつの間にかそんなこと思わなくなった。
自分がいつ死んでも受け入れられるだろう、と
はっきり気づいたのは20歳になってから。
たとえば今わたしが死ねば「まだ若かったのに」と惜しむ声が上がると思う。
けれどそれは本人にしか分からないこと。
わたしはきっとそうは思わない。
たぶん死ぬ時期というのは決まっていて、それは仕方ないもので、
だからといって「限られた人生を精一杯楽しもう」というような
ポジティブシンキングはわたしから既に欠けている。
夢も希望もなくて、惰性で、肩身の狭い思いをしながら、此処に居る。
そりゃあね、何にも後悔しないわけじゃない。
生きていて楽しいことだってあるよ。
でも、「君が居るから生きられる」と「君が居るから死ねない」は少し違う。
明日はいつまでもあると思うのはあまりにも自分勝手で、
「信じる」と「望む」はきっとほとんど同じこと。
絶対なんて何処にもないということだけが絶対であるから。


そんなことを考えて、この前半くらいの部分だけを恋人に話すと同意を得られた。
例えばここで「そんなこと言わないで」というのがきっと普通の19歳。
やっぱり少し違うのだと思う、他人のこと言えないけれど。
しかし、わたしの苦手なもの・できないことの多さに恋人は引いていた。
克服しようとしないことが嫌らしい。
水泳(プール、海)、自転車、車の免許をとることへの異常な恐怖、など。
人間関係は言うまでもないので除く。


心電図は「まったく異常ないわけではないけれど、日常に支障はない範囲」だそうです。
反時計方向回転。心臓が反対に回転しているらしい。
結果を聞きにいくと診断書でももらえるのかと思ったら、
受付のおばさんがカルテを探して口頭で説明してくれただけやった。簡素。